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ブログを再開しました(沖縄県にとって最大の問題についてつぶやきます)

 ブログへ訪問された皆様お久しぶりです。『あなたの町医者ちぃさん』です。このブログは2011年1月にオープンしました。私が沖縄県那覇市小禄でクリニックを開業(2010年9月7日)してまもなく、患者さんも増えずに少し暇にしていたときにMJOのメンバーでトロンボーンを担当している小鍋悠(はるか)さんから、『FM21の音楽番組でパーソナリティをしていますが、相方が辞めたため、先生2ヶ月ほど手伝ってもらえませんか?』というオファーがあり、『暇だし、しばらく息抜きに手伝ってあげようか。』とOKしたのが始まりでした。毎週月曜日の午後10時から11時まで、アマ・プロを問わず沖縄のミュージシャンをお呼びして、その方のミュージシャンになろうとしたきっかけや、成功するまでの険しいみちのりをどう乗り越えて今の地位に到達したのか、またまだ進む道途中でこれからどのように進みたいのかという自身のコンセプト等々を聞き出し、最後に近々のライブの情報を聞いてリスナーさんにお知らせするというパターンで放送をおこないました。番組を聴かれているリスナーさんへメールと1960年代から1990年代の曲をリクエストしてもらうように伝えましたら、北海道から埼玉、大阪、広島、宮崎など全国津々浦々から励ましの言葉、お褒めの言葉等々沢山のメールと共にリクエストをいただき、こんなちっぽけな沖縄県の1ローカル放送局の電波を日本全国が聞いてくれているということに感動しました。この番組でフランス公立音楽学校でピアノの指導をしていて、ピアソラのリベルタンゴなどを演奏するため来沖したプロの宮城知子さんはフランスからわざわざお礼のメールを送ってくれました。数年後に私自身が医者の不養生で倒れて、放送を続ける事ができなくなるまでに、数百人のミュージシャンと出会うことができました。

 早期発見・早期治療が郊を奏して3週間足らずで退院しましたが、それからはクリニックが忙しすぎて余裕がなくなり、最近は、第5月曜日に午後10時から10時半まで、悠さんと共にまた、FM21よりユンタクを発信しています。復帰後、現在までブログはお休みしていましたが、今回を機に少しずつアップしてゆこうと思います。どうぞ皆さん、またブログへ訪問されてください。

 2012年4月14日を最後にアップせずに止まっていた私のブログにずっとアクセスしてくださった皆様ありがとうございます。更新してないにもかかわらず、9月25日現在、トータルアクセス数が35,137回に達しています。中断していた間の出来事やハート話をこれからもアップしてゆこうと思いますが、しばらくは私の故郷沖縄県の大変重要なことをアップしたいと思います。

 7978文字、400字原稿用紙約20枚、私の沖縄県に対する思いをしたためました。少し長い文章ですが、お読み下さい。

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 まず最初に述べたいことは、一庶民・一県民・一国民・一地球人として、これだけは、全県民・全日本国民・全世界の人々にお伝えしなければいけないと思う事です。


 わたしの故郷、沖縄県(琉球)の話です。15世紀に沖縄は琉球国という王国でした。尚巴志が三山(北山・中山・南山)を統一して国を1つにし(1429年)、無益な権力闘争で殺し合う事をやめ、武器は首里城に納めさせ、その後は護身術としての空手と棒術を発展させました。空手は攻撃する武術ではなく、防御の武術(護身術)です。相手を殺したり、重症を負わせたりすることはせず、寸止めで攻撃を止めるのです。相手は素直に負けを認め、『参りました』と頭を下げるのです。勝者を恨むのでは無く、尊敬(リスペクト)するのです。そして、自分の技を磨いて再挑戦するのです。琉球の言葉に『イチャリバチョーデー出会ったあとは兄弟同然だ)』と言う言葉があります。昨日の敵は今日の友なのです。そうやって、昔の琉球の国民は相手を敬い、他人を蔑む事はせず平和な琉球国を築いていったのです。『命どぅ宝( 両親からもらった命が一番大切な宝物です)』の精神を胸に秘め、決して他人の命も自分の命も粗末にせずに大切にする平和な国家でした。武器を持たない琉球という平和な国は、日本の北海道から朝鮮・中国・フィリピン・ベトナム・カンボジア・インドネシアとアジアの広い範囲の国々とグローバルに友好的に交易をし、万国の架け橋(万国津梁)になって発展していました。
 平和で豊かな琉球国へ、槍・刀・弓矢・鉄砲という他人の命を奪う武器でもって攻めいった国がありました。日本(薩摩藩)です。薩摩軍3000人、琉球軍4000人で、そのとき、琉球軍は無駄に命を捨てるようなことはしませんでした。鉄砲に対しては、かなうはずがありませんでした。恐らく、当時から見れば未来人にあたる現代の私たちに、『せっかく平和な国を築いてきたのに、幸せな・豊かな琉球をあなたたちに残せなくてすまない。残った命をつないでいって、戦のない、平和な時が必ずくると想うので、そうなるように頑張って欲しい。「命どぅ宝どぉ(命こそ大切な宝だよ)。それを紡いで行って、平和で幸せな国をつくってくれよ。」』と願ったと思います。そうして、琉球国は1609年に薩摩藩(日本)の支配下におかれ、黒糖・うこん(薬として)・唐いも(薩摩では琉球いも、薩摩以外の藩では薩摩いもと呼ばれていました)・その他琉球の産物・加工品・他国との貿易で得た品々を搾取され、他国とは貿易しない鎖国状態であった薩摩藩は、明治維新の遂行に多大な資金を得ました。一説によると3年間に黒船1隻を購入できるほどの財力を得ていたと言われています。琉球には中国へ留学して平和を愛する哲学を学び、人間はこうあるべきだという中国の哲学書『六諭衍義りくゆえんぎ)』を自分なりにまとめた名護親方(程順則1663~1735)がいました。これは後に江戸へ赴いて薩摩藩主の島津吉貴公に献上され、さらに徳川将軍へも献上され、寺小屋の教科書として珍重されました琉球の人々は決してすすんで琉球を日本に差し出したのではありません。いつか、日本も平和で心豊かな他人を思いやる国へ発展すれば、琉球から搾取するようなことはせず、琉球の王様を帰してもとの琉球国に戻して対等な立場で交易する友好国になるだろうと、いにしえの琉球の国民は願っていたと思います。

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琉球はその後、平和国家へ戻ることはできず、日本政府に3回も処分されました。

          琉球処分(1)

明治政府により琉球が強制併合された一連の過程を琉球処分と言い、1872年(明治5年)の琉球藩設置に始まり、1879年(明治12年)の沖縄県設置に至ります。この一連の動きにより500年続いた琉球王国は500年にわたる歴史を閉じ、つまり滅亡し、沖縄県として大日本帝国に併合されました。そして沖縄県の県知事は沖縄県から選ばれるのではなく、すべて日本政府から選挙なしで赴任してきました。これが最初の琉球処分です。

             琉球処分(2)            

第二次世界大戦の時は連合軍の本土上陸・本土での地上戦を阻止するため、沖縄は捨て石にされました。そして、敵味方20万人以上の沖縄県民・日本軍兵士・アメリカ軍兵士が犠牲になりました。そして終戦を迎えた後、主要な土地が米軍基地を造るために強制摂取され、米軍基地が建設されてゆきました。そして1951年9月8日署名され、1952年4月28日に効力発生したサンフランシスコ講和条約により、沖縄県は日本から切り離され、アメリカ合衆国の信託統治領となりました。沖縄県は単に沖縄となり、日本人でもアメリカ人でもなく、国籍を持たない民族になってしまったのです。沖縄は1879年に日本に強制併合され、ウチナーユー(沖縄世)からヤマトユー日本世)になり、さらにアメリカユー(米国世)になってしまったのです。おとなしい琉球国民は時代に翻弄され続けました。

           琉球処分(3)

 昭和47年(1972年 )5月15日、沖縄県は日本復帰しました。佐藤栄作首相の時代でした。『沖縄の本土復帰なくして戦後は終わらない』という名言を残して本土復帰を実現しました。実は復帰前の1970年12月20日未明にコザ市(現在の沖縄市)で、おとなしかった沖縄の市民たちが不満を爆発させて騒動を起こしていたのです。きっかけはアメリカ軍人が沖縄市民を轢いた交通事故でしたが、背景に米施政下での圧制、人権侵害に対する市民達の不満が募っていたことでした。アメリカ軍車両のナンバープレートにはナンバーの前にYという文字がついているため、ナンバープレートをみればアメリカ軍人の車かどうか分かるため、アメリカ軍人の車だけに火をつけ、焼き討ちしたのでした。日頃から、レイプ事件・殺人事件・交通事故・ひき逃げ・タクシー代踏み倒しなど色々事件を起こしても治外法権になっているフェンスの中へ逃げ込めば罪を免れていたのです。犯人がはっきり確定できていても、彼らは軍法会議にかけられて罪をかせられるのですが、その結果がどうなったのかは沖縄の市民には知らされませんでした。つまり、地位協定で守られていたのです(現在でもそうです)。沖縄県民の堪忍袋の緒が切れた出来事でした。きっと、おとなしい沖縄の人々の怒りが爆発したのを見て、米民政府は『もうそろそろ沖縄は日本に復帰してもらわないとまずい』と思ったでしょう。
 この復帰によって沖縄は再びヤマトユー(日本世)の沖縄県になり、日本国籍を得ることができました。しかし、基地負担は決して楽になった訳ではありませんでした。米軍人の犯罪はへらず、地位協定の見直しもありませんでした。継続して米軍が使用する施設数が減ったように数字上はなっていましたが、広大な嘉手納空軍基地は継続使用する1施設コザ市の基地の周辺に事務所として借りていて立ち退くビルの一室は返還する1施設と数えていました。よく調べてみると数のごまかしが沢山ありました。そして、米兵による犯罪は決して減ることはありませんでした。本土復帰前に史上初めて投票によって選ばれた本土復帰派の琉球政府の行政主席、屋良朝苗主席(沖縄返還前であり、まだ知事ではありませんでした)は国会で沖縄本土復帰について審議されているさなか、スタッフによって不眠不休で作成した『沖縄の本土復帰措置に関する建議書』を携えて、『これから沖縄の要望を訴える建議書をもって上京しますので国会で述べさせて下さい。』と連絡し、国会へ飛行機で飛び立ちました。急な連絡を受けた佐藤栄作首相率いる自民党は、慌てふためいた状況の中、突然審議を中断し、自分達の作成した法案に地元沖縄の意見は全く考慮せずに採決に踏み切り、屋良朝苗主席が国会議事堂に到着したときは、『沖縄本土復帰法案』を強行採決した後でした。今度こそ沖縄の思いを込めた立派な法案の下、それこそ沖縄県民に寄り添った政策を実現して貰おうという思いでしたが、みごとに打ち砕かれてしまいました。 

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 琉球は人を殺し合う戦(いくさ)をやめて平和な国を500年間継続していました。その平和を壊したのは日本です。でも沖縄県民は日本という国に憎しみや恨みは持っていません。薩摩が琉球から富を得てもそれを倒幕・明治維新を成し遂げて、300年続いた封建制度を打ち壊すことに使ったのあれば、日本の近代化の早期実現に貢献したことになります。いわば、日本のために縁の下の力持ちとして貢献したのは琉球であり、沖縄だったといえるのでは無いでしょうか。その沖縄を戦後、痛めつけ、いまだに過大な負担をかけているのは誰でしょうか?口では沖縄県民に寄り添い・・・と言いつつ、実際は地面にたたきつけて足で顔を踏みつけ、『日本のために我慢しろといっているように思えてなりません。日本の舵取りをする人たちが本当に平和な国をつくる政治をしてくれれば、皆幸せになれるのです。

 普天間を県内移設するのでは無く、県外・国外へ移設すれば問題はすぐに解決するのです。鹿児島県の無人島、馬毛島を国が買い取って滑走路を造れば、あっという間にすむのです。土地の買収に難色を示していれば時価の倍でもよいのではないですか。ただ条件として近隣の種子島や屋久島の住人の居住する場所の上空は飛ばない、夜間は飛ばないという厳しい条件をつければいいのでは無いでしょうか。ドイツやイタリアはそのために地位協定を改訂させています。『それができなければ我が国から出ていって下さい』と。それに比べ、日本は一度も改訂させていません。すべてアメリカのいいなりです

 また今年1月12日、グアム島が辺野古の代わりに受け入れてくれないか、翁長雄志前知事がグアム島を訪ねて面談したとき、エディ・カルポ知事は辺野古新基地建設計画について『グアムにも美しい海がある。負担軽減とはいえ、そのように埋め立てることは私たちとしても理解しにくいと述べ、多くの県民が新基地建設に反対していることに理解を示し、在沖海兵隊のグアム移転については『スピーディに進めたい』と実現へ協力する姿勢を示しました。県によると、カルポ知事は在沖海兵隊移転について『米国民として沖縄の負担軽減に答えたい。一日も早く受け入れたい』とのべ、『現在、米政府が外国人労働者への就労ビザ発給を制限しているため、グアムで建設工事を担う外国人労働者が大幅に不足している。』カルポ知事は『同ビザ問題が在沖海兵隊移転促進の大きな障害になっている』とし、米政府にビザの早期発給を要請していることなどを説明しました。【2018年1月13日 琉球新報記事より抜粋】

もう一つの選択肢は海上浮遊型(例:関西空港)の基地を建設してそこへ移転する方法もあります。他にも方法はあるはずです。なぜ、政府はその努力を怠り、『辺野古が唯一の選択肢』と言い張り今まで以上の負担を強いるのでしょうか。今、辺野古へ新基地を造ることを許せば、あと100~200年は今よりもっと負担が重くなるでしょう。自然豊かで世界遺産に登録されようかという緑豊かで、マイナスイオンいっぱいの澄んだ空気いっぱいで、貴重な昆虫や「ヤンバルクイナ」・「ノグチゲラ」などの希少生物が暮らしている、静かで平和なやんばるにオスプレイの爆音を毎日、昼夜を問わず、鳴り響かせると言うのでしょうか。

 今年の4月に山原の国頭村与那区の役所から、『今、若者が村から外へ出て行き過疎化が進んでいるため、楽しいイベントを村あげて積極的に催し、活性化したいので山原でジャズをきかせてくれませんか。ギャラは払えませんが、村の公用マイクロバスで送迎します。昼食は村でとれた山の幸・海の幸を使ったランチを用意します。』というオファーが医者仲間とジャズが好きな人たちで構成している楽団MJO(medical jazz orchestra)にあり、ボランティアでライブを年2回行っている MJOとしては二つ返事で承諾しました。その日は、前日の天気予報では山原は雨ということでしたが、那覇から与那まで1時間半かかって着いてみたら、見渡す限り雲一つ無い青空が拡がり、空気は澄んでいて遠くの山々がすぐ目の前に迫ってくるようにくっきりと見え、まさに日本ばれでした。会場になる与那公民館で午前中にリハーサルを行い、昼食はご当地の食材を用いて造ったランチを食しました。食材が新鮮なため非常においしく、舌鼓を打ちました。午後は区民のカラオケのあと、私たちのジャズバンドの演奏でしたが、最初50人ほどだったのが、終わる頃には170人近くの人でいっぱいになりました。おそらく、静かな村中に響くバンドの楽しいリズムに誘われて皆集まってくれたと思います。最後はジャズのリズムに合わせてスイングし踊ってくれました。聴衆がスイングしてリズムに乗って踊ってくれた時、ジャズメンである私たちは本当に幸福感に浸されました。区長からは『生のジャズ演奏が聴けたのはこの山原では初めてのことで、非常に楽しませて貰いました。ありがとうございました。』とお礼の言葉をいただきました。現場にはNHK・琉球新報・沖縄タイムスの記者も来られていてこのイベントを紹介するため、NHKのテレビニュース・琉球新報・沖縄タイムスの記事にも載りました。

 辺野古に新基地ができ、オスプレイが沢山配備されれば、この山原の最大のメリットである、静けさ・新鮮な空気・人間をいやしてくれる森のマイナスイオン・鳥のさえずり等がすべて壊されてしまう。演奏後に『そんな山原にはなって欲しくない』と思いました。騒音のない、空気がおいしい現在の山原のままで、世界遺産に登録されて、全世界の人たちがここで癒やされに訪れる、そんな場所でいて欲しいと願わずにはおれませんでした。

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 今、沖縄の美しい海が埋め立てられ、ここへ将来沢山のオスプレイが駐機され、昼夜を問わず騒音をまき散らそうとしています。他の選択肢を模索せず、誰が言い出したのか「辺野古が唯一」と唱えています。しかも、主張している日本政府・国会議員の人たちは戦争を知らない、戦争の悲惨さを知ろうともしない人たちです。辺野古に新基地を造らせればそれは沖縄県にとって第4の琉球処分になるでしょう。私達の先輩は沖縄県を平和で、戦争は絶対にしない、おもてなしを重んじる守礼の邦・万国津梁の邦にしたかったはずです。また、私たちも未来の子供達にそんな素晴らしい沖縄県を残してあげようと思っています。目先の近い将来ではなく、これから生まれてくる、まだ見ぬ子供達のことを考えるべきでは無いでしょうか。そのために翁長雄志前知事はオール沖縄を立ち上げてくれたのでは無いでしょうか。いままで、沖縄県民の思いを日本が受け入れてくれた事がどれほどあったでしょうか?先回の参院選の時、辺野古の埋め立て工事を一旦停止したときは、オール沖縄と真剣に対話して、代替地を県外・国外へ替えてくれるのかと思いきや選挙が終わると対話に応じずに工事を再開されました。選挙で反対票が増えないようにとられたポーズ、すなわち戦略の一つでしか無かったのです。今まで同様に真摯に対話するポーズはとりますが、結局は沖縄の民意を全く無視して、思い通りに事を進めています。国に向き合って対等に話し合い沖縄の未来(将来ではない)、まだ見ぬ未来の人たちにすばらしい沖縄を残すためオール沖縄は今頑張っているのです。この灯を消してしまうのか、赤々とより大きく燃やしてゆくのか、この選挙は今までで最も重要な選挙なのです。道半ばで逝去された翁長雄志前知事・太田昌秀前知事の血の滲むような努力を絶やしてはいけないと思います。今回の知事選挙は今までの知事選とは違って、候補者(玉城デニー氏、佐喜真アツシ氏)同志の戦いと言うような単純なものではなく、オール沖縄対官邸(日本政府)の戦いだと思います。小沢一郎氏の別荘の問題や色々なデマや中傷などに左右されるようなレベルではありません。それらに惑わされず、しっかりと琉球・沖縄の歴史を見極めて自分の意思に添って投票して欲しいと思います。 特に18~20歳の若い人たちに琉球・沖縄の歴史をちゃんと知って、自分の子供や孫・ひ孫にどんな故郷沖縄を未来に残すべきか判断して投票するようにして欲しいと思います。台風で天気が悪くても、投票には是非いかれて、自分の意思で1票を投じて下さい
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今日は、いきなりシビアなことを長々とアップしてしまいました。若い有権者に少しでも、故郷を思う、諦めない、自分の意思を大切にしている先輩達がいることを知ってもらいたく、書きました。  

2018年09月28日at 06:30 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)つぶやき

お金のかからない(お金のたまる)ダイエット法

今日はお金のかからない、逆にお金のたまるダイエットの話をしましょう。


さて、皆さん、この方(銘苅圭伸さん47歳)の体重は何kgだと思いますか。まるで相撲部屋の親方のようですね。実は134kgです。普段、胸部症状もなく『自分は太ってはいるが、症状もないから大丈夫』と高をくくって生活していました。独身でスモーカーで暴飲暴食の大食漢でした。酒は1升飲むことも平気だったそうです。中性脂肪の値は何と1259mg/dLと1000をはるかに超えていました。運動もしていませんでしたので善玉コレステロール(HDL-C)は34mg/dLと低値でした。

この方が平成20年12月31日に医療機器関連の会社の同僚達とサイクリングレースに参加中、坂道を登りきってあと、一時休憩しようと、同僚と共に休んで座っている際に急に倒れたのです。傍にいた会社の同僚たちが心肺停止状態になっていることにすぐに気付き、直ちに心肺蘇生術を開始しました。一人は心臓マッサージを、一人は人工呼吸を行いつつ他の一人が救急車を要請しました。救急隊員が到着して診た時点でも脈は触れず呼吸もしておらず、引き続きCPR(心肺蘇生術:心臓マッサージと人工呼吸)を続行しつつ、体外式除細動器による電気的除細動(いわゆる電気ショック)が救急車の中そして救急病院搬入後も行われ、都合13回電気ショックをかけられました。県立南部医療センター・こども医療センターの救急室へ搬入されたあと、ただちに気管内挿管が行われ中心静脈路、末梢点滴路が確保されて強心剤などの薬物投与が開始されて自己の心拍動が出てきました。心臓が正常に動きだして生き返ったのです。血液検査・心電図から心筋梗塞を起こしていることが判明したため、緊急冠動脈造影が行われましたが、検査途中でも血圧が低下してきて危険な状態になってきたため、大腿動脈から心臓の冠動脈循環を補助するためのバルーンカテーテルが挿入され、IABPという救命装置がセッティングされ稼働開始されました。命を救うためのありとあらゆる措置を講じながら、冠動脈造影を行い、詰まっている冠動脈を風船治療で拡張し、血栓が末梢へ飛ばないように血栓吸引も行い、冠動脈2か所にステントという、冠動脈が再び詰まらないように拡張させておくデバイスを留置して一命をとりとめました。心臓が止まってからただちに心肺蘇生術が開始されたおかげで命が助かり、意識も正常に回復しましたが、もし、同僚たちが心肺蘇生術を知らず、心肺蘇生術の開始が遅れて4分以上脳に血液が行っていなければ、例え心臓が動き出して命が助かっても脳は元に戻らず、一生寝たきりの植物人間になっていたことでしょう。一過性の脳虚血に陥っていたため一時言語障害が出ていたようですが、言語リハビリテーションにて完璧に元に戻りました。

以上のようなすごい経過の後、車いすではなく、ちゃんと自分の足で歩いて無事退院することができました。


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この方が心筋梗塞に陥った原因はもう言わなくても分かるでしょう。たばこと肥満なのです。タバコのニコチンで冠動脈の内皮細胞が損傷されて剥ぎとられ、その下のざらざらした露出面から悪玉コレステロールや中性脂肪が動脈の壁の中へしみこんでいって血管はぼろぼろになり、そこへ血栓ができてへばりつき、血小板も凝集してへばりつき、冠動脈の内腔はどんどん狭くなってきて血流が悪くなって行っていたのです。そして、サイクリングという過激な運動によって汗をいっぱいかき、血管内の水分はどんどん減っていって脱水状態となり、血液はドロドロに粘っこくなり、ついには狭くなった冠動脈が詰まって血液が流れなくなり、心筋梗塞に陥ってしまったのです。

さて、皆さん、九死に一生、いえ九十九死に一生を得たこの方が二度とこのような目に遭遇しないようにするにはどうしたらいいと思いますか?

答えは実に単純で簡単なことなのです。

そう、禁煙とダイエットをちゃんと実行すればいいのです(酒は休肝日をしっかりつくって、呑みすぎないように適量を呑めば問題ありません)。

140kg近い体重の体を安全域までダイエットに成功させる術はあるのでしょうか?

この方は実は、その最適な方法を自分で考えて実行して成功したのです。すなわち、自分で5つのルールをつくり、それを確実に実行したのです。

① 禁煙を厳守実行する。
② 禁酒を厳守実行する。
③ 1800~2000kcal/日の食事を自分で造って朝・昼・夕3食たべる。
④ 間食は一切しない(3時のおやつも無し。カロリーゼロの水分はOK)。
⑤ 外食は一切しない(慶事・法事での食事はOK,ただし少なめに食する)。


まず、禁煙・禁酒を実行しました。そして、独身である彼は、自分で食材を買い出しして自分で1日3食の食事をつくるようになりました。食品交換表を参考に、1日1800~2000kcalの献立を造って食するようになりました。

そして、すごいことは、間食は一切摂らないことにしたのです。そして、さらにすごいことは、外食は一切しないことにし、実行したことです。

最初は、ひもじい思いがしたようですが、くじけずに自分の信念を貫き通しました。すると、ひもじい思いが段々出なくなり、1か月に1.5~2.0kgずつ徐々に確実に体重が減少していったのです。極端に月5kgとか10kgとか15kg落とすようなことはせず、徐々に均等に体重を落としていったのです。そのため、リバウンドも無く、確実に体重を落としてゆくことが出来たのです。

最初、この食事療法に加えて、普段全くしてなかったウォーキングを始めてみたところ、15分も歩いたところで、両膝関節痛と腰痛が出現して歩けなくなるため、体重が100kgを割るまでは運動療法としてのウォーキングは辞めて室内での体操・筋トレ等をしていました。そして100kgを切ったあたりからウォーキングを始めたところ1時間近く歩けるようになり、体重も順調に落ちて行きてました。そして体重減少と共に歩ける距離はどんどん伸びて行ったのです。


そして3年以上経過した現在の姿が下の写真です。びっくりです!まるで別人です!現在の体重は71~72kg前後で、今も少しずつ落としていっています。




超肥満時1259mg/dLだった中性脂肪は現在54mg/dLに減少、34mg/dLだった善玉コレステロール(HDL-C)は63mg/dLに増加、動脈硬化の危険性を表すLDL/HDL比は2.5から理想的な1.5以下の1.3に改善しており、完璧に健康な体になっています。
現在自宅から会社までの約8kmを毎日往復歩いて通勤されています(片道約1.5時間)。天気の悪い日は車で出勤しますが、その時は帰宅してから自宅近辺を2時間ウォーキングされています。ですから、善玉コレステロールが減ることは絶対にありません。




この写真は現在の銘苅さんの顔写真とお腹の写真です。肥満時の時の顔写真と比べると全く別人です。
お腹の皮膚も、皺(しわ)はありますが思ったほど垂れ下がってはおりません。よくテレビに出てくる超肥満の人がダイエットのあとにエプロンのように垂れ下がった皮膚を切除する手術を受けるようなことはありません。急激なダイエットはせずにゆっくりと体重を落としてゆけば、皮膚も引き締まりながら凹んでゆくので皺も少なくて済むのです。


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先日、本人に質問してみました。『もし、130kg以上の超肥満体の時に、私が「こんなに太っていて、スモーカーで暴飲暴食し、中性脂肪も1000を超えていたら、いつか脳梗塞・脳動脈瘤破裂による脳出血・くも膜下出血・心筋梗塞・胸部大動脈瘤破裂・腹部大動脈瘤破裂・下肢動脈閉塞による下肢切断・肺癌・舌癌・咽頭癌・喉頭癌・胃癌・肝臓癌・膵臓癌・腎臓癌・前立腺癌など、大変な病気を発症して命を落としてしまいますよ。今すぐに禁煙し、酒は休肝日を造って節酒し、ダイエットに努めて体重を落とさないと大変なことになりますよ。」と勧めたら、禁煙・節酒を実行してダイエットに努めたと思いますか?』と。

すると、答えはNoでした。

『胸の痛みも、息苦しさもなく、困る症状は一切ありませんでしたし、いまさらひもじい思いをしてダイエットするなんて考えられなかったと思います。』と。

『じゃあ、何故、今、ダイエットに成功して健康体を取り戻すことが出来たのですか?』と訊くと、『今回、私は死ぬ思いをしましたから、生まれ変わったつもりで一念発起出来たのです。』と答えられました。

そうなのです。皆さん、人間、死ぬ思いを経験すると何でも出来るのです。

この方は実は『死ぬ思い』どころか、心臓も呼吸も止まり、本当に一時的に『死んでしまっていた』のです。心肺蘇生術を心得ていた同僚達が周りにいたから、助かったのです。あの時、この同僚達がいなかったら、今頃、この方はこの世の人ではなかったのです。

 先日、本人に『銘苅さんの経験を、ダイエットできないであきらめている患者さんに是非みせて啓蒙したいので写真を提供してくれませんか?』とお願いしましたところ、快く引き受けてくださり、『どうぞ利用してください。私の本名も年齢も出して下さって結構です。目隠しやぼかしも入れずに、ありのままの写真を掲載されて結構です。』とおっしゃってくださいました。

さて、実際に『先生、私、食べる量を減らしても体重へりませんよ!』と言っていた患者さんにこの写真をお見せして、『為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり、ですよ。そろそろ真剣モードでダイエットに取り組んでみませんか?』というと、『あぁ、やればできるんだ!私頑張ります!』といって、ダイエットに努力される患者さんが増えてきて、実際に成功してきています。

お医者さんは、『大変な病気になりますよ』と、病気の怖い話をする必要は無いのです。ダイエットに成功した人の体験をありのままにお見せするだけでいいのです。ダイエットするのに、高いサプリメントを買ってきて、短時間で楽して痩せようと思う必要は無いのです。心ひとつで、お金をかけずに時間をかけてゆっくりと実行すればちゃんと出来るのです。この方はダイエットにお金がかかるどころか、節約できたタバコ代・酒代・外食の飲食代・出勤に使う車の燃料費・健康になった分減らすことのできた薬代などで100万円以上の貯金が出来たはずです。

お金をかけずに、お金がたまるダイエット法があることを、皆さんに是非知ってもらいたいと思います。

最後に、写真を提供してくださった銘苅圭伸さんに心から感謝致します。

さあ、肥満で悩んでいるみなさん、標準体重より10~30kgオーバーしていても、あきらめずに、今日からお金のかからないダイエットをすれば、あなたにもスリムな素晴らしい健康体がもどってきますよ!。


『為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり。』です。


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みんなで頑張って、『沖縄県は断トツで日本一肥満の県』という汚名を返上し、『長寿でスリムで健康な沖縄県』を取り戻すため、努力しましょう。
  


2012年04月14日at 05:23 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)生活習慣病

孫の生活発表会へ行ってきました

日曜日(1月29日)、孫の美結と結太の保育園の『生活発表会』があり、夫婦(じいちゃん・ばあちゃん)で行ってきました。

私の時代には『学芸会』といっていましたが、今は『生活発表会』と云うんですね。




4歳児のクラス全員での楽器演奏で美結はマリンバ(大きな木琴)を担当して弾きました。
途中で一人で間奏を弾く所があり、『おっ、一番難しいパートを任されているぞ。』と感心しました。メロディーのないところでも、先生の指揮をみながら体でテンポをきざんで、メロディーを弾くところはちゃんとインテンポでしっかりと弾く姿を見ると感動で涙腺が緩んでしまいました。


音楽は決して一流のミュージシャンだけが観客を感動させるものではなく、こんな小さな子供でも、無邪気に一生懸命頑張って聴かせてくれれば大きな感動をあたえてくれるものだと実感しました。


美結がまだ言葉も十分に話せない1歳の時に、タンバリンを『トン!』と叩いて、彼女の前にそのタンバリンを差し出すと、ニコッと笑って『トン!』と叩きました。次に『トン!トン!』と叩いて差し出すと、ニコッと笑って『トン!トン!』と叩いて返したので、次は7拍子で『トン・ト・ト・トン・トン・・トン・トン』と叩いて目の前にタンバリンを差し出すと、後ろから、ばあちゃんである妻が「そんなむつかしいの叩ける訳ないでしょう!」と言い終わらないうちに、『トン・ト・ト・トン・トン・・』しばらくして『トン・トン』とちゃんと7拍、叩いたのです。私はびっくりして感動してしまいました。はじめての楽器なのに、これが音を出す楽器であること・拍子というものがあることをちゃんと認識し理解しないとできないことなのです。『美結、えらーい!』と思わず頭をなでまくって抱っこしていました。


現在4歳の美結にピアノを弾いてきかせると、しびれを切らして『美結も弾くー、美結も弾くー!』と言って、鍵盤の幅の3分の1ほどしかない小さな両手の人差し指で、『ドレミファミレドー、ミファソラソファミー、ドッ・ドッ・ドッ・ドッ・ドドレレミミファファミッ・レッ・ドー』と音階名で唄いながら弾くのです。それを聴かされて『美結、一体いつ弾けるようになったの?』と訊くと、『ママにおしえてもらったー』という。ママである美紀が3歳のころ、私がピアノを弾いて聞かせると、『パパー、シゴイ!シゴイ!』と感心はしても『みいちゃんが弾くー』とは言いませんでした。その美紀も中学の時はショパンのポロネーズを弾き、私を凌駕していきました。美結はきっとその上を行ってくれるものと思います。


この子は一体どんな子に成長してくれるのでしょう。もしかしたら、上原ひろみをしのぐほどのピアニストになるのでしょうか、それとも、ピアノには飽きてそれ以上の素晴らしい仕事をするようになるのでしょうか?黙って見守ってあげようと思っていますが、その成長が見れる喜びを味わえるのは本当に幸せだと思っています。


8月15日4時23分生まれの美結。平和記念日(私は終戦記念日ではなくこう呼んでいる)の8月15日生まれの美結。将来、沖縄から世界に平和を発信できる素晴らしい仕事をしてくれるのではないかと密かに期待しています。


私のかわいい3人の孫とその両親、私の妻です。孫のなまえは、『美結(みゆ)』、『結太(ゆうた)』、『結貴(ゆうき)』で、長女が「美しく結び」長男が「太く結び」次男が「貴く結ぶ」。3人がしっかりとスクラムを組んで強い絆で結ばれて成長してくれることを願っています。そして、その絆が他のたくさんの人たちともしっかりと結ばれるのを願っています。






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       今日は 『親バカ』 ならぬ、 『じじバカ』 のつぶやきでした?!

  


2012年02月01日at 18:18 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)つぶやき

外科医の3S , 心臓外科は6S?

 今日のブログの内容は、私がかつて県立那覇病院で心臓血管外科を立ち上げて満10年目にあたる平成12年に心臓血管外科部長として創設期を振り返って、沖縄県医師会報へ投稿した文章です。

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       外科医の3S,心臓外科は6S?


 卒業して2年目の研修病院で私の尊敬する先輩が手術中に「知花君,外科医の3Sを知っているか?」と尋ねてきました。「聞いたことはありませんが,ひとつはsafetyのSですか?あと2つは何でしょうね。えーっと,そうだspeedyのSでしょう。もうひとつが思いつきません」。というと「それはsmartのSだよ。今の君が心がけることは1にも2にもsafetyだ。合併症を起こさせない,死なせない,まずこれが1番だ。そして部長や先輩のsmartな手術を見,えらい先生の手術書をみてsmartな手術とはどういう手術か勉強する。そして症例を重ねてsmartな手術をsafetyに行う。Speedyはそれから追求するんだ。えらい先生の手術は時間が短く早く手術を終えるけど,なぜ早く終わるのか考えるんだ。最初はsafetyのためにいろいろな手順がついていただろうけど,症例を積み重ねているうちにこの手順はもう省いても十分自信を持ってこなせると思うと次からはその手順は省くことができる。そうこうしているうちに手術方法も無駄な手順がとれてきてslimでsmartな方法ができあがる。するとspeedyは自然と後からついてくるものなんだ。手術が早いというのは決して手が速く動くということではないんだよ。このことをよく肝に銘じて勉強するように」と教えられました。Safety→smart→speedyこれを常に念頭において手術をしてきました。


 最近心臓外科を実践していて心臓外科にはあと三つSがあるということを思うようになりました。まずsincerityのSで,患者さんには誠実で有れということです。心臓外科の術前のinformed consentを得るための説明の際,私たちは1時間近く時間をかけて説明しています。その患者さん自身に対する2ページに渡る説明文を作成して渡し,まず今までの病状の経過,なぜ内科治療では限界で外科治療が必要なのか,心臓の解剖と生理を説明したあと,心臓カテーテル検査やその他の検査結果を提示しながら説明します。体外循環はどのようなものか,体外循環を稼動させることによってどのような合併症が起こる可能性があるか,それを防ぐためにどのような努力をしているか等merit, demerit全てを説明します。そして本院での手術成績と日本全国では現在どのくらいの成績かも正直に説明しています。最後には「もし,他の施設へ移りたいという希望があれば本院での検査結果は全て提供して,紹介状を添えて持っていってもらいますので申し出てください。もし,私たちにまかせていただけるのなら私たちも全力をつくして手術をさせてもらいます。手術まで数日の余裕がありますからご家族・ご本人皆様で話し合われて結論を出してください。そして,もし承諾されるのでしたらこの手術同意書に判を押してこちらへお渡しください。」と,あくまで決定権は本人と家族へ委ねます。昔は「あなたたちは何も文句は言わずに私の言う通りにまかせなさい。万が一最悪の事態になっても病気が重かったものと納得しなさい。」と言う時代がありました。患者側に選択権は無く,医者の方が絶対的決定権をもっていた時代です。現在,病院は有り余るほどあって病院を選ぶ権利は患者さんにあり医者は選ばれる立場にあるのだということを肝に銘じるべきだと思います。


 次のSはsystemです。心臓外科ほどシステムの充実が叫ばれる科はありません。普通簡単な一般外科手術は,外科医2名,麻酔医1名,手洗い看護婦1名,外回り看護婦1名の計5名いればできます。しかし,心臓外科手術を遂行するためには心臓外科医2名のほかに臨床工学技士とその助手が1~2名,麻酔医が導入時と体外循環離脱時に2名,術中手洗い看護婦が2名,外回り看護婦が1~2名で合計10名前後のスタッフが必要です。それだけでは有りません。術後集中管理できるICUがあり,循環呼吸管理ができる優秀な看護婦が要ります。また言うまでも無く心臓外科へ患者を紹介する循環器内科も充実していなくてはいけません。循環器内科医・心臓外科医・麻酔医・手術室看護婦・臨床工学技士・ICU看護婦,このシステムの中のどれか一つでも欠けると心臓外科は成り立ちません。ですから心臓外科医は口がさけても「私が手術をします」とは言いません。「私たちが手術をします」と言います。県立那覇病院で心臓外科が開設された時,ICUも手術室も心臓外科は初めてなため「私たち自信ありません。」という言葉を幾度となく聞かされました。そのため兵庫県のこども病院と姫路循環器病センターへ看護婦を1ヶ月研修に出して自信をつけさせてスタートしました。皆の努力のかいがあって,今では看護婦にもプロ意識ができてきて「今日の心外術後患者は私が看ます」と頼もしい言葉がすんなりと出てくるようになりました。自分達には無理だと思っていたことを努力と協力によって実現しさらに発展させてゆく,それが取りも直さず患者さんの命を救って行くことになる,これが心臓外科だと思います。


 最後のSはsatisfaction(満足)のSです。患者さんが元気になって満足して退院してゆく,心臓外科医も循環器内科医も麻酔医も手術室・ICUの看護婦も臨床工学技士も患者さんを病気から救ったことに満足するということです。


 この6Sを実践することによって私達自身と病院の信頼を高めることになりひいては質を向上させることになると思います。これからも医療事故の無い安心して受診できる,県民から愛される病院をめざしてさらに努力してゆく所存であります。



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 以上のようなコンセプトで心臓血管外科を実践してゆき、心臓外科手術は全国に引けをとらない成績でした(冠動脈バイパス術の手術死亡率が全国平均3%の時に県立那覇病院は1%でした)。



 私が自信を持って人に自慢でき誇りに思っていることは、外科手術・心臓血管手術のあとに訴えられたことが1度も無かったことです。メッサーザイテ(Messerseite:外科・整形外科・脳外科・心臓血管外科・産婦人科・眼科・耳鼻咽喉科・泌尿器科など、メスを握って患者さんに傷を入れる科)は、多かれ少なかれ・大きけれ小さけれ、一度は訴えられるものです。私が県立病院を辞めて町医者になる時の送別会で院長先生が、『他のメッサーザイテは患者さんやその家族に訴えられたり、クレームをつけられたりしているのに、心臓外科が一度も訴えられなかったのは不思議でなりません。』ということをおっしゃっていました。



その理由を分かっている人は、私自身以外は、おそらく誰もいなかったでしょう。私は、患者さんを赤の他人だとは思っていません。私の診察を受けた時点から、身内と思っているのです。『この子は私の子だ。この人は私の兄弟なんだ。私のおじさん・おばさんなんだ。私のおじいさん・おばあさんなんだ。』と・・・。そう思えば、たとえ夜中の2時だろうが3時だろうが、起こされても苦にはなりません。泊まり込みで術後管理を徹夜でしても苦にはなりません。みんな『イチャリバ、チョーデー(出会えば、兄弟同然だ)』なのです。自分の失敗は包み隠さず、正直に話し、話した上でその回復に全力を尽くす、それが一番大切なのです。たとえば、母親が自分の息子である医者に夫(つまり手術をしてくれた医師の父)の手術をしてもらい、『こんな難しい状況になっていて、僕の力量では100%満足のゆく治療ができなかった。でも、全力を尽くして、回復するようにがんばります。』と言われ、何日も泊まり込みで治療してもらうも、甲斐なく亡くなられた時、患者さんの妻である母が息子であるこの医師に『おまえの未熟さのために父さんは死んでしまったじゃないか。お前を訴えてやる!』というでしょうか?『何日も泊まり込みで一生懸命お前に治療してもらったんだ。きっと、父さんも満足して逝ってくれたと思うよ。ありがとう。』と感謝されるものです。そこまでの信頼関係を赤の他人である患者さんとその家族と結ぶことが大切なのです。



『イチャリバ、チョーデー』・・・こんな素晴らしい言葉がわが故郷 沖縄 にはあるのです。この心を若い医師、医師の卵たちには持って欲しいと思っています。



※私が医師をめざしてがんばった理由は、『国際グラフ』に掲載されています。
 ( www.kokusaigraph.com/new/201011/088.pdf )



今日はちょっとシリアスな話になってしまいました。次は楽しい話をアップしますね。



  


2012年01月25日at 08:18 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)心臓外科

平・ゆきさんのコンサートへ行ってきました


1月22日(日)、平・ゆきさんの『YUKI TAIRA CONCERT 2012 10th Anniversary』へ行ってきました。今回は平・ゆきさんが那覇市民会館大ホールで年1回(毎年1月下旬開催)のregular concertを始めてちょうど10回目にあたる記念公演で、ゲストが何とDIAMANTES(リーダー:アルベルト城間)でした。バックの演奏は女性ユニットのConjunto Alegria(コンフント・アレグリア:楽しい楽団という意味)。そしてスタジオクラベリオのパティさんが曲に合わせてダンスを踊られました。



何といっても一番楽しかったのは、おそらく空前絶後と思われる、ゆきさんとアルベルト城間さんとのデュエット『コモエスタ赤坂』が聴けたことでした。私が今まで視聴したコンサートでは一番盛り上がった公演だったと思います。会場は満席で、2階席へは東北地方から被災後に沖縄へ移住してきた方々を招待して元気と勇気、そして希望を差し上げられました。



いつもながら、平・ゆきさんのコンサートでは大きなパワーがもらえます。カチャーシーで観客と一体となって踊って唄ってくれて、最後のアンコールの『なまくま(今ここ)』では観客が涙を流すほどの感動を与え、観客に『よし!明日もがんばるぞ!』という気持ちを起こさせてくれます。



ブータンのワンチェク国王夫妻が来日したときに、国王が被災地の子供たちに『人間の心の中には龍が住んでいて、この龍は経験というものを沢山たべて立派な大人に成長させてくれます。きみたちも、今の大変なことに負けず、これからいろんな良い経験を龍に食べさせて、立派に育って下さい』ということを子供たちに話されていました。平・ゆきさんのコンサートも、観客の心の中にいるこの龍に勇気と活力をあたえてくれているものと思います。




 平・ゆきさん、今日も大きなパワーを与えてくださってありがとうございます。 


 


私も平・ゆきさんからもらったこのパワー・オーラをさらに増幅して、私たちの『ライフ&ミュージックの会』のイベントで、視聴に来られた皆さまへ差し上げようと思っています。




この写真はコンサートが終わってから、正面入口のモニュメントの前で撮った写真です。
平・ゆきさんの後ろの背の高い方が、『伊集ぬ花』・『なまくま』・『それぞれのカチャーシ』など数々の平・ゆきさんの曲の作詞・作曲をされている、友利敏之さん、一番右端のかたが友利さんの奥さんの友利淑江さん、真中の方が淑江さんのお父さんの知花清正さん、その右隣が平・ゆきフアンクラブの佐渡山かずよさんです。実は、知花清正さんは私のいとこに当たります。私の一番好きな『なまくま』の作詞・作曲をされた方が実は私の義理の親戚であることが分かった時は、これぞセレンディピティと思いました。
(ちなみに、後ろのモニュメントを創られたのは、友利敏之さんの息子さんの彼女のお父様とのことです)



さぁ、皆さん、次は4月8日(日)の『ライフ&ミュージックの会』のイベントそして、6月の 『伊集ぬ花コンサート』 で、お会いしましょうね!
  


2012年01月24日at 08:28 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)つぶやき

『ライフ&ミュージックの会』 第二回目のライブのお知らせです

『ライフ&ミュージックの会』第二回目のライブの内容が決まりましたのでお知らせします。

私のユンタクのあとに、東京からお招きする、お笑いの『コント山口君と竹田君』にプロのユンタクをしてもらい、皆さまに腹を抱えて笑ってもらう企画を入れました。昭和58年にNTVの『お笑いスター誕生』で初出場優勝デビューを飾ったお二人です。その後の活躍は目覚ましく、昭和59年にはゴールデンアロー賞・日本放送演芸大賞最優秀ホープ賞、昭和60年と61年には花王名人大賞などを受賞。その後、ラジオ、テレビレポーター、テレビドラマ出演、舞台演劇出演と今尚健在で、日々進化を続けています。全国に名を馳せるコントグループとして、関東筆頭のポジションを築いています。

お笑いの後は、ラテン&ジャズヴォーカリストのMitchy(ミッチー)さんに歌ってもらいます。バックは津嘉山正明&SPICEという豪華キャストでジャズの真髄に触れることのできるライブです。

こんな素晴らしいイベントをたった1回だけの催しで終わらせるのはもったいないので、午後2時と6時半の2回公演とすることにしました。夕食の準備のある主婦の方は、2時の公演に来られるとよいと思います。是非、明日のパワーをもらいに来られてください。

入場チケット販売(前売3500円・当日4000円)は2月中旬からになりますが、購入方法は追ってこのブログにアップしますので今しばらくお待ちください(なお、おろくハートクリニックでは、今でもすぐに購入できます)。  


2012年01月19日at 05:54 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)Life & Music の会

四つ葉のクローバーを見つけました

 昨日、孫の美結(4歳)と一緒に新都心の公園(楽市リウボウの裏)へ遊びに行きましたが、公園内の石畳歩道わきに三つ葉のクローバーがたくさん咲いていたので一緒に四つ葉のクローバーを探したら、何と探し初めて10秒もたたないうちに見つけてしまいました。自分自身で見つけたのは生まれて初めてのことです。あまりの早さに目を疑い、この一帯は四つ葉が突然変異でたくさんあるのではないかと思い近くを探しましたが他にはありませんでした。幸せを与える四つ葉のクローバーは、神様が見つけさせてくれるものであり、せいぜい1分も探して見つからなければ運が無いとあきらめるものだと常々思っていましたが、10秒以内に見つかったというのは、神様から『近いうちに素晴らしい幸せが来ますよ』というメッセージだと感じました。

去年は県医師会の新年会の福引でいきなり1等の大型液晶テレビがあたり、6月には、平・ゆきさんの伊集の花コンサートを聴くためにヤンバルへ行った時に後援会メンバーの方が見つけた四つ葉のクローバーを見させてもらい、去年の6月21日のブログにもその写真をアップさせてもらいました。その後、『ライフ&ミュージックの会』を立ち上げ、ミッキー・カーチスさんのライブも成功させ、何かと幸運続きでした。

 今年もきっと、素晴らしい幸運がまっていると信じています。前回は他の方が見つけた四つ葉のクローバーの写真から間接的に幸せパワーを流しましたが、今回は私自身が孫と一緒に見つけた幸せパワーを直接流しますのでどうぞ受け取ってください。



                あなたにも、素晴らしい幸せが届きますように・・・・・。
  


2012年01月16日at 14:24 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)つぶやき

昨日『ロボジー』を観てきました

 昨日(1月14日)実は待ち切れず、宜野湾美浜の『MIHAMA 7PLEX』へ夜中車を飛ばして、最終午後10時45分上映の『ロボジー』を観てきました。

 一言で言うと『 最高に楽しかった 』

 最初はクスクスと笑っていた観客は途中から腹を抱えてワハハ・ワハハ・・・・と大声で笑い出しました。ロボットの『ニュー潮風』の中に入っている鈴木重光こと五十嵐信次郎が「プーッ」とおならを出した時は、画面から匂いまで出てきそうで、笑いが止まりませんでした。これ以上書くとネタばれになりますので、このくらいにしますが・・・。

皆さん是非、観にいらっしゃってください。人間、腹を抱えて笑えば免疫細胞も活発に活動し、癌細胞もやっつけて、ドーパミンも分泌されて幸せで健康になりますから

この映画の主演男優、五十嵐信次郎がミッキー・カーチスさんであることは周知のことですが、パンフなどではミッキー・カーチスという芸名は全くでてきません。その意図するところが、観終わってからはっきりと分かりました。というのは、この映画の主人公にはミュージシャン、ミッキー・カーチスの面影は微塵もありません。完全に73歳のヨボヨボではありますが、芯の通った心やさしい、下町のおじいさんなのです。肉体的にも精神的にも完全に役柄に移入して演じているのはさすがにプロだと感じました。プロモーションポスターなどに『主演、ミッキー・カーチス』などと掲載すればどうしてもミュージシャン、ミッキー・カーチスという先入観が入ってしまいます。

ミッキーさん自身がおっしゃっているように、『この映画の主役は全国の73歳のお爺さん達200人(その中に五十嵐信次郎さんもいた)がオーディションを受けて、その200人の中から主役を勝ち取った。』のであって、決して、ミッキー・カーチスという俳優が矢口監督に抜擢されて主役になったのではなく、『五十嵐信次郎という73歳のお爺さんがオーディションを受けて、200人の難関を勝ち抜いて主役になった。』と解釈したほうがいいでしょうね。

去年ライブで来沖されたとき、『吉高由里子』さんはどんな女優か尋ねましたところ、『いやー、彼女はほんとにいい娘(こ)です。若いけど非常に熱心で真面目な娘です。打ち上げの時に一緒に飲んでいると、最初は「ミッキーさーん❤」と言ってたのが、酒がすすんでくると、「おい!ミッキー!」なんて豹変することもできる、面白い娘です。この先、素晴らしい女優に成長していくと思いますので応援してあげてください。』とおっしゃっていました。映画の中でもすごく良い演技をされています。んっ・・・、今日は何故か映画評論家になった気分です。

 那覇市の新都心の『CINEMA Q』でも是非上映して欲しいですが、皆さん、時間が空いた時、宜野湾美浜の『MIHAMA 7PLEX』まで是非観にいらっしゃってくださいね。
  


2012年01月15日at 15:23 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)つぶやき

今日は1月14日、『ロボジー』上映初日です。

さあ、みなさん今日は1月14日、五十嵐信次郎主演の映画『ロボジー』のロードショウが始まります。沖縄では宜野湾美浜のシネマスポット『MIHAMA』で上映されます。『ミッション・インポッシブル』、『リアル・スティール』、『テンペスト3D』など対抗する正月映画が目白押しなため、新都心の『CINEMA Q』では上映されないようです。残念!でも、車で30分も走れば行ける距離ですので、皆さん、元気をもらいに是非美浜まで見に行きましょう。

主演は五十嵐信次郎ことミッキー・カーチスさん、ヒロインは今最も注目を集める若手実力派で、まさに旬の女優、吉高由里子さんです。ミッキーさんは1938年7月23日生まれの73歳、吉高さんは1988年7月22日生まれの23歳でちょうど50歳の年齢差で誕生日が1日違いの相性の良い二人です。きっと面白い内容に腹を抱えて笑える映画だと思います。

私は、今日はMJO(メディカル・ジャズ・オーケストラ)の新年会がありますので、明日見に行く予定です。後日、観賞後の感想をまたこのブログにアップしたいと思います。
  


2012年01月14日at 18:18 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)つぶやき

『ライフ&ミュージックの会』の忘年会を開催しました

去年の年末に下記の通り、『ライフ&ミュージックの会』の忘年会を催しました。

  日時:平成23年12月3日(土)
  時間:午後5時~8時(カラオケはその後も続行)。
  場所:スナック&サパー 『幸(こう)』電話098-868-4384
     那覇市松山2-14-1玉キ米屋第5ビル(時計ビル)6階
  会費:1000円(当日入会の方は年会費1000円合わせて2000円)

第1回のライブで会員になられた方へはがきでお知らせして、『お友達で参加したい方もどうぞ』と集まってもらいましたら、都合40名を超える方がこられて、すき焼きをつつきながら、自己紹介後に歓談し、みんなでカラオケを歌って楽しみました。途中、米国人教師のマーチンさんがサンタクロースの格好で入ってこられて、『メリークリスマス!』と全員にお菓子をプレゼントしてくださいました。

これで、心通い合う会員が40人を超えました。

今年も、楽しいライブを予定しますので、追って告知いたします。楽しみに待っていてください。
  


2012年01月07日at 07:41 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)Life & Music の会

ミッキー・カーチスさんのライブは大成功でした。



平成23年11月6日に沖縄青年会館大ホールにおいて『ライフ&ミュージックの会』第1回イベント、ミッキーカーチスさんのライブを開催しました。前座で『医療と音楽について』と題して、私のユンタクを30分強聴いてもらいましたが、私の36年間の医療現場で音楽というものがどれだけ貢献してくれたかという話を色々と思いつくままにしゃべらせてもらいました。実際に私が感動した話なので皆さんも感動してくださり、公演後に帰られる方から『先生、お話とてもよかったです。たくさん感動をもらいました。』と喜んでくださいました。



クリニックで私からチケットを購入された患者さんから、『先生、ユンタクのあとに先生のピアノを1曲聴かせてください』とお願いされていたので、『枯葉』を弾かせてもらいました。私が高校1年の時、ロジャー・ウィリアムスの『枯葉』を聴いて、枯葉が冷たい風に吹かれて散り、強い風に舞い上がる様をイメージさせる、超高速で降りてくるクロマティックスケールの音に感動し、自分なりに自分の技術で枯葉が舞うイメージを音にしてみたいとアレンジした曲です。神戸大学医学部へ入学してからはピアノを弾く暇はなく、高校時代に弾いていた曲はほとんどわすれてしまいましたが、この曲だけは指が覚えていてくれて、9割方思い出せて弾きました。



 私のユンタクの後に、英会話教室の先生であるブライトン氏が英語と日本語混じりの言葉でマジックを披露してくれて、しばし和やかな時間を過ごさせてくださいました。


 そのあとに、本番のミッキー・カーチスさんのライブを開催しましたが、さすがはプロ中のプロ、観客の心をとらえて打ち解けて楽しく和ませ、観客と一体となって感動させてくれる話術・演奏にはほんとに感服させられました。 会場には外人さんもいらっしゃいましたが、“Where are you come from?”と質問して“Iowa!”と返事されると『アイオワ~♪』と即興ででたらめにメロディーを造って唄い、皆を笑わせたり、ほんとに明日の活力を与えてくれるライブにしてくださいました。途中でブルースの曲を演奏されましたが、『先生、コードは3つしかありませんから、飛び入りでピアノも弾いてください。』と事前に言われ、『そんな、大それたことできませんよ』と言って袖のカーテンの裏に隠れていましたが、ギターで伴奏されている岩田浩史さんが、顎と目線で『さぁ、早く出てきて一緒に弾いてください。』と合図されるので、仕方なく走って飛び出ていって、岩田さんのギターのリズムとミッキーさんの唄に合わせてコードを弾いていると、私も段々乗ってきて、最後はグリッサンドで『バラバラバラバラ・・・・・バーンッ』と決めることができました。お蔭さまで、司会者である私までも和ませて下さいました。エルビス・プレスリー、ポール・アンカ、ニール・セダカのオールディーズにはまさに垂涎の名曲を沢山熱唱してくださいました。特に代表曲の『恋の片道切符』は、スローテンポで、1960年代に聴いた曲とは全く違う、聴く人の心を優しく包みこんでくれる唄い方で唄ってくれて、心打たれました。最後はアンコール曲として『上を向いて歩こう』を、聴きに来られていたジャズピアニストの新垣隆盛さんに飛び入りで伴奏に加わってもらい、被災地へ向かって会場にいる全員で大きな声で斉唱し、大きな拍手の中、ライブを終わりました。




 ミッキー・カーチスさんは今回のライブに際して、2012年1月14日から正月映画ロードショウとして上映される、矢口史靖監督の『ロボジー』(ミッキー・カーチスさんが五十嵐信次郎という芸名で主演男優を演じる)という映画の宣伝もされました。インターネットでも予告編がアップされていますが、2012年はこの映画が東日本の被災地を含め、日本全国を笑いと感動でハッピーにすることでしょう。


 ミッキー・カーチスさんは、2001年に『百合祭』という映画にも主演男優で出演されており、実は今回のライブに際し、受付でこの映画のDVDを販売されました。同伴でこられた奥さまが2~3枚でも売れればと持ってこられたこのDVD、何と50枚近く売れました。よっぽど皆さまが感動してくださった証しだと思いました。ご購入下さった皆様、本当にありがとうございます。実は私も1枚購入して観賞させてもらいました。内容は『老年女性の性愛』を描いたものです。老齢であること、女性であることの二重のカセによって、公然と語られることが封じられてきた、いわばタブーの領域です。しかし、お婆さんばかりが住むアパートに、一人のセクシーなお爺さんが引っ越してきたところから、てんやわんやの大騒動が持ち上がる、桃谷方子の小説『百合祭』(講談社刊)という原作を得て、老年女性の主体的な性愛の行方を、快活な喜劇タッチで描いたものがこの映画です。離婚して引っ越してきた、プレイボーイならぬプレイジイサンのミッキー・カーチスさん主演の三好輝治郎(75歳)が全てのおばあさま達を幸せにしてあげるという物語。決してドロドロとした関係ではなく、スカッと爽快な関係にしてしまいます。私も外来でたくさんのお年寄りの患者さんに接していますが、彼女たちは決して『おばあさん』ではありません。80歳を超えていても、心は『乙女』の状態の人がほとんどです。心が若ければ、いくつになっても青春です。生きることへの活力をあたえてくれる、このプレイジイサンに拍手を送りたくなる映画です。外国では35カ国で賞をもらっているようですが、日本ではあちこちで求められて上映会が催されているようですが、賞は貰って無く、レンタルビデオ店でも扱っていないようです。もし、購入して観賞したいという方は『ライフ&ミュージックの会』へご連絡ください。会の方からミッキー・カーチスさんの奥さまへ連絡して直接送ってもらいます。価格は5000円です。
 

 今回、チケットの販売にはプレイガイドやコンビニは全く使わず、代表のマイク上地はライブハウスやカラオケスナックなどでライブの告知をしてチケットをさばき、会長である私は外来患者さんや知り合いの方にチケットを購入してもらい、このブログで告知し、ライブの前日と前々日のみ琉球朝日放送(私の尊敬する先輩が社長をしている)でスポット広告を出させてもらいました。その結果、約150人の集客が得られたこと、聴きに来られた方の帰られる時の表情が皆笑顔であったことから大成功だったと言ってよいでしょう。

 この『ライフ&ミュージックの会』を応援してくださるかたへ、帰りに入会名簿へ住所・氏名・電話番号を記載してもらいましたところ、23名の方が記載してくださいました。マイク上地と私の二人からスタートしたこの会が25人になりました。アップルはスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアクの二人がガレージ・カンパニーとしてスタートし、数千人の大会社になりました。暴走族の夫婦二人で始めた運送会社が世界をまたにかける大運送会社(アート引越センター)になりました。吉本興業もスタートは2人でした。
二人でスタートしたこの『ライフ&ミュージックの会』がどのように成長してゆくのか、まだ未知数ですが、『他の人のために何かいいことをしよう』という心をもっている人が集えば、きっと素晴らしい未来が開けると思います。さあ、皆さん、一緒に楽しみながら進んでいきましょう。

  ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥ ♥

第1回目のライブのあとは、たまっている本業のクリニックの仕事に専念していたため、ブログのアップがこんなに遅れてしまい、申し訳ございませんでした。今後も一緒に楽しい人生を送りましょう。  


2012年01月07日at 06:55 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)Life & Music の会

MJOチャリティー・コンサートにミッキーさんが来られました。

昨日(11/3)、私とHarukaさんの属するビッグ・ジャズ・バンド、MJO(Medical Jazz Orchestra)の

『東日本大震災チャリティー・コンサート』が新都心の『トップ・ノート』でありました。

ヘンリー・マンシーニの映画音楽(ムーンリバー・酒とバラの日々・シャレードなど)を

特集した第一部とラテンの明るい曲や女性ボーカル(ゲスト:西平和代さん)を中心とした

第二部で大変楽しいひと時を過ごすことができましたが、第二部の途中にサプライズゲストの

飛び入りがありました。なんと、11月6日に『Life & Musicの会』主催のライブに出演して

下さるミッキー・カーチスさんが来てくれたのです。空港から新都心へ向かう途中の宿泊

ホテルのフロントへ荷物だけあずけて、ミッキーさん夫婦とバックで伴奏してくれるギタ

リストの岩田浩史さん夫婦とマイク上地の5人が駆けつけてくれて、私たちの演奏を聴いて

下さいました。曲と曲の合間にミッキーさんの紹介をして、11月6日のライブの告知も

いたしました。私の方から『当日、MJO聴きましたとおっしゃれば、当日券4000円は

3500円にします。』というと、客席のミッキーさんがすかさず立って手を挙げて、

『なんと!2枚買えば7000円になります。』というと、拍手が起こり、2~3秒して

拍手がとまり、全員わはは・・・と笑い出しました。『なんと!』という言葉が入っただけで、

1万円が7千円に安くなるような錯覚に陥ったのです。拍手しながら3500円を2倍に

計算したら、別にさらに安くなった訳ではないことに気付き、皆ドッと笑ったのでした。

さすがは立川談志の愛弟子、『真打、ミッキー亭カーチス』さんだけあって、間髪いれずに

冗談がとばせる能力には感服させられました。

私たちの演奏が終わり、アンコール曲も終わった後に、なんと、ミッキーさんが『我が心の

ジョージア』を一緒に来られたギタリストの岩田浩史さんの伴奏で唄って下さいました。

途中でブルースハーモニカでも演奏され、心揺さぶられる音に感動し、思わず涙が出てしまい

ました。一流のミュージシャンの演奏は本当に素晴らしい・・・・・・・。


 夜は琉球料理の店で夕食を御一緒させてもらい、健康管理の話など、ユンタクさせて

もらいました。



         ミッキー・カーチスさん夫妻 ちぃさん夫妻 岩田浩史さん夫妻 マイク上地

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 このブログを訪問された皆さん、是非ミッキーさんのライブを聴きにいらっしゃって

ください。入場料は4000円ですが、それ以上の感動とパワーがもらえますよ。

     場所:沖縄県青年会館大ホール

     日時:平成23年11月6日

     開場:午後1時30分

     開演:午後2時00分

     入場料:前売り 3500円
          当日券 4000円(下の※参照)


     内容:第1部 私の音楽と医療・健康に関するユンタクライブショー

         第二部 英会話教師ブライトンによるマジックショー

         第三部 ミッキー・カーチスさんの唄(沖縄初ライブ)


   ※『ちぃさんのブログ見ました』と言えば、当日券が3500円になります。  

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ところで、来年の1月の正月にミッキー・カーチスさん主演の映画『ロボジー』が上映されます。

ミッキーさんは、この映画のオーディションに応募して、200人の中から選ばれたそうで、

監督に選ばれたのではなく、自分で勝ち取った主役だったとのことです。芸名はミッキー・

カーチスではなく、『五十嵐信次郎』です。

ストーリーのあらすじは、『家電メーカー、木村電機の落ちこぼれ社員、小林・太田・長井の

3人組は、ワンマン社長から、流行の二足歩行ロボットの開発を命じられていた。しかし、

ロボット博を目前に、制作途中のロボット「ニユー潮風」が大破! 窮地に追い込まれた

3人は、ロボットの中に人間を入れて急場をしのぐ計画を立て、73歳のジイさん・鈴木が

選ばれた。しかし、この鈴木がとんでもないジイさんで・・・。さらには、ニュー潮風に恋を

したロボットオタクの女子大生・葉子も巻き込み、事態はあらぬ方向へ---------。』というもの。

本作のヒロイン、女子大生・葉子には、現在、若手No.1の人気・実力を誇る女優、吉高由里子。

監督は『ウォーターボーイズ』 『スウィングガールズ』の矢口史靖監督。おそらく、

2012年は、矢口監督と、五十嵐信次郎・吉高由里子が、笑いと感動で日本中をハッピーに

するでしょう。東日本にも笑いと勇気をあげられると思います。五十嵐信次郎ことミッキー・

カーチスさんは、主演男優賞にノミネートされ、もしかしたら本当に主演男優賞をもらう

かもしれません。

正月には是非見に行きましょう、『ロボジー』を。

MJOもいつかは、『スウィング・ドクターズ』として映画になって、音楽仲間やみんなに

勇気を与えられるといいですね。  


2011年11月04日at 22:00 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)Life & Music の会

『ライフ&ミュージックの会』を立ち上げました。

 『Harukaの今宵もハッスルnight!』でお知らせした『Life & Musicの会』について詳しく

ブログに載せましたのでお読みください。

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このたび、私、『ちぃさん』こと知花幹雄と私の親友のマイク上地とふたりで『ライフ&ミュージックの会』という会を立ち上げました。発足第一歩のコンセプトを一言で言いますと、『音楽を通して人々が楽しく元気に日々を過ごせる環境をつくり、平和で楽しい沖縄を築き上げること』です。LifeのLはLoveのLであり、LivertyのLでもあります。決して利益を追求するものではなく、金では買えない何かを皆さんへ提供してゆこうと思っています。悲しみを10分の1にし、喜び・幸せを10倍にしてくれるような素晴らしいイベントができる会にしたいと思っています。この小さな出発点が線になり、線がくっつき合って面になり、さらにその面が重なりあって大きな立体になった時、そこには素晴らしい世界が出来上がるでしょう。沖縄が世界に冠たる文化の発信スポットとなり、文化のハブスポットとなることを願っています。基地の無くなった沖縄が、武器を楽器に換え、音楽や踊り、芸能活動を通して世界に平和を発信できるスポットに築き上げられてゆければと思っています。

 その第一弾がミッキー・カーチスさんのライブです。このライブを成功させることができて、素晴らしい感動と感触がえられれば年に3~4回、開催しようと思います。会員が増えて順調に行くようになれば、非営利団体(NPO)にして沖縄のさらなる発展に役立ててゆこうと思っています。その先に見えてくる素晴らしい世界については今はまだ語らないでおきましょう。無限(夢現)の世界を実現するにはひとりひとりが力を合わせて行くことだと思っています。一緒に楽しく頑張りたいという方の入会をお待ちしています。
なお、『Life & Musicの会』の入会金は0円、年会費は1000円です。 このお金は、
ほとんどがLive開催のお知らせのための通信費になります。

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    『Life & Musicの会』 第一回 イ ベ ン ト

      場 所:沖縄県青年会館大ホール

      日 時:平成23年11月6日(日)
          13時30分開場
          14時00分開演

      料 金:前売 3500円
           当日 4000円


第一部:ドクター『ちぃさん』の健康ゆんたくライブ
    ※音楽と医療・健康について、色々とユンタクします。

第二部:英会話教師ブライトンによる楽しいマジック
    ※日本語と英語のマンチャー言葉で楽しいマジックを
      披露します。

第三部:ミッキー・カーチス 沖縄初ライブ
    ※エルビスプレスリー・ニールセダカ・ポールアンカの
      名曲を熱唱。
      73歳で正に円熟期に入ったミッキーさんの若い頃とは
      全く違う音をご堪能ください。

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      『FM21でこのライブのことを知りました。』
       『ちぃさんのブログで知りました。』
         『ちぃさんの知り合いです。』
     などと言えば、当日も3500円です。どうぞ、お友達にもお知らせくださいね。
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もっと、詳しく知りたい方はインターネットで『今宵もハッスルnightに一致』で検索すると、

今宵もハッスルnight!に一致する動画-Stickam JAPAN!(スティッカム)」が一番上にでて

きますので、それをクリックしてSTICKAMの動画サイトへ行き、並び順を新着順にして、

2011/10/24と2011/10/17の動画を見れば、私とマイク上地のユンタクが聴けます。

ミッキーカーチスさんを呼んだ理由とか、色々しゃべっています。

是非、訪問してみてください。

   


2011年11月01日at 18:38 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)Life & Music の会

町医者のユンタク室(2)

harukaの今宵もハッスルnight!でしゃべったハート話の第二弾です。

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『町医者のユンタク室』(2)

 キャリアウーマンとしてインテリアデザインの実務をこなしながら、沖縄県にインテリアデザイン学院を開設するという夢に向かって、週1回名古屋の専門学校へ飛行機で往復するというハードスケジュールをこなす従妹がいた。私の友人の産婦人科医も開業するとき、彼女にインテリアデザインを担当してもらって開院した。薄いピンク色を基調として、女性的な安らぎを与えるインテリアデザインであった。忙しい彼女は頭痛が持病で、日頃から市販の頭痛薬をほとんど毎日飲んでいたようで、周りの人から「一度病院へ行って精密検査も受けて、ちゃんとした薬を飲む方がいいよ。」と言われても、「病院へ行けば3時間も待たされるし、忙しいからこの市販薬でいいのよ。」と言っていたという。その彼女が3年前に脳出血で倒れた。普段、血圧は高くなかったとのことであるが、仕事のストレスはかなりあったため、職場高血圧であったことは否めない。彼女が頭痛を訴えて公立病院へ入院して頭部CTを撮ったとき、小さな脳出血であったため、安静にして止血剤を投与して様子観察すれば出血も止まってやがて吸収されて治るものと思われた。しかし、徐々に意識障害が進行して昏睡状態に陥ってきたため、急遽頭部CTを再検したところ脳出血が拡大し脳ヘルニアの状態になりつつあることが判明し、緊急手術が行われたのであった。開頭手術が行われて出血部の止血に入ったのに脳内の出血部が電気凝固で焼灼しても出血が止まらない。一生懸命に止血操作を行うも血液が凝固しないため止血しない。結局はあきらめざるを得ず、そのまま帰らぬ人となってしまった。血小板凝集抑制作用のあるこの頭痛薬を毎日服用していたことがわかったのは手術のあとであった。この市販薬は医師が脳梗塞や心筋梗塞などのあとに血小板凝集抑制を目的にして処方するときの量の3倍半の量であり、決して常用してはいけない薬で、頭痛がひどい時だけに屯服で飲むものである。やはり医師に診てもらって、ちゃんとした薬を服用すべきであった。素人判断は怖いものである。

 ところで、3時間という待ち時間は長いだろうか?月に1回、かかりつけの医院を受診する、この1ヶ月の中の3時間、720時間中の3時間、1ヶ月の0.4%の時間、これを惜しんだために、もう手の届くところまで来ていた夢の実現を目前にして、命を落としてしまったと考えると無念でならない。





 私をかかりつけ医にしてくれている患者さんは待ち時間のクレームは一切言わない。初診の時に30分以上かけて、病気の詳しい説明となぜ薬が必要なのか、薬の主作用副作用の話など本人が納得するまで説明している。ある患者さんは「先生、私、こんなに詳しく話してもらったことありませんでした。薬をのむのがいやでたまらず、あっちこっちと回っていましたが、今の説明でやっと納得できました。これからはちゃんと薬を飲むことにします。先生のお話を聞いているとチャングムと話しているみたいです。これからもよろしくお願いします。」と納得してくれた。午前と午後の間の昼休みは、食事もとらずにカテーテル検査に入ることが多いが、ある日検査中に、外来看護師から連絡があり、「先生、♥♥♥さんが外来に来ているのですが、何時間でも待ちますから検査が終わられたら診てください、と言っています。」と言ってきた。逆に、ある患者さんはユンタク室へ入ってくるなり「ここはいい病院だと友人に勧められて来たのに3時間も待たされました。」とクレームを訴えられ、「すみません。長い時間のかかる患者さんが今日は多いものですから・・・」と弁解はしたものの、「こんなに待たされるのなら、もう二度と来ません。」と言われ、二度と来なかった。





 私と信頼関係ができた患者さんは、長く待たされても「先生、今日は何時間も待たされました。」とは言わず、「先生、今日はお忙しいんですね。」と逆にこちらを気づかってくれる。そして、「今日は他の患者さんも多いですから私は早々に退散しましょうね。また、来月おあいしましょう。」と2~3分で退室してくれる患者さんもいる。『待たされました』という自分中心の言葉に対して『お忙しいんですね』と相手を気づかって、相手の立場になってかけてくれる言葉は、診る医者にとって、本当にうれしいものだ。ある日、次の患者さんを呼んでも入ってこない。2回呼び出しても入ってこない。カルテの予診時間を見てみるともう3時間待たせていた。「きっと、かんかんに怒っているだろうな。」と思いつつ、看護師に「待合室の♥♥♥さんを呼んで来てください。」と頼んだところ、しばらくして入ってきた。謝りの言葉をかけようとしたら、患者さんの方から「今日は、おもしろい本を持参していて、待っている間読んでいたら、あまりにも面白くて読むのに熱中してしまい、先生に呼び出されていることに全く気付きませんでした。 すみません。」と逆に謝られた。その時思った。「ふだん、ゆっくりと本を読む時間もない患者さんは、待っている時間を利用して、読みたいおもしろい本を読まれるとどうだろうか。『待ち時間』が『待たされ時間』ではなく、『もうちょっと待たしてください時間』になるのではないだろうか」と。

 すべての患者さんが待ち時間を気にせず、気楽に楽しく、安心して受診してくれることを願って、今日もせっせと患者さんとユンタクしている町医者である。
                                     (あなたの町医者:ちぃさん)
  


2011年09月16日at 05:31 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)町医者のユンタク室

町医者のユンタク室(1)

Harukaの今宵もハッスルnight!で色々としゃべったハート話。じつは、那覇市医師会のトーク番組でもしゃべりましたら、是非文章を那覇市医師会報(2011年夏季号 第39巻2号)に投稿して欲しいと依頼され、文章にしたためました。初めのころにしゃべった3話をまとめました。那覇市医師会報では医師会の限られた先生方の目にしか触れませんが、ブログに載せればよりたくさんの方に見てもらうことが出来ると思います。できれば、若い医師や医師の卵たちに、医師の原点の心をくみ取って欲しいと思います。
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町医者のユンタク室
                       
 患者Aさん(87歳、女性)は、私がかつて胸腹部大動脈瘤に対して破裂する前に手術をし、破裂による突然死から回避できたが、術後に不全対麻痺という合併症を発症してしまった。手術のあと、最悪の場合、訴えられてもしかたない事態であり、精神的に落ち込んでいたが、本人・家族からは、「私たちは先生を信頼して手術を受けました。手術の前の説明で、こういう麻痺を合併することもあることをちゃんと聞いていましたし、それも覚悟の上で手術の承諾書にサインをしたのですから、先生を恨むことはありません。ちゃんと元気に生きているし、これからもずっと診てください。」と言われたときは涙が出るほどうれしかった。術後、すでに13年が経過したが、現在も車椅子に乗って外来へこられ、「5人目のひ孫が2歳になり、大変賢い子よぉ。」と自慢され、「一番上のひ孫は一浪して看護大学へ入学し、将来は公立病院の看護師長になるといって、張り切っているさぁ。」と明るく、ひ孫の成長がみれる喜びをかみしめられている。今では、Aさんとは親戚づきあい以上の親しい間柄で、ひ孫の13祝いにも招待され、Aさんの85のお祝いの時はカラオケで『マイウェイ』を歌わせてもらった。その時Aさんが私に言った、「私がうんと若くて、先生の独身時代にお会いできていたらよかったのにねぇ、と想うさぁ。」と。
 彼女がユンタク室へ入ってきた時は、彼女の娘さんの顔、3人の孫の顔、5人のひ孫の顔がすべて浮かび、そして、彼女が今までに話してくれた、彼女自身の戦前・戦中・戦後の歩んできた人生が走馬燈のように浮かぶのである。そして、今日も新たにこの2週間の出来事を話される。かくして、彼女はぼけることがない。


 患者Bさん(79歳、女性)は、以前に私が冠動脈バイパス手術をし、現在は心筋梗塞で突然死する危険性も回避できて、元気に通院している。そのBさんが、ある日、「先生、私、先生の外来へ来るたびに握手して帰ることにしますので、握手してください。」と言ってきた。「私、死ぬまでに先生とあと何十回握手できるかな?」と言ったのは何年前だっただろうか。この間、「先生、今日でちょうど百回目になりました。先生の暖かい手のぬくもりが、私にとっては何よりの薬ですよ。」と言い、「最近、私が作った短歌ですけど、読んだら捨ててくださいね。ちょっと恥ずかしい・・。」と渡された手紙を外来が終わってから読んでみた。『幾たびの 試練克服 慰めし きずなの強さ 道開かれる』、『今ここで あなたと共に 握りし手 血の流れしを なるがままにぞ』、『恋文を さしあげたくも 許されぬ 遠き道のり あわれに想う』、『理知的に 言葉少なく 語り合い 命まかせし 生きる喜び』。数年前にご主人が癌で先発たれたBさん。一人暮らしはつらいものだと想う。読んで、感動した。多分、バーチャルではあるが、私に対する恋心を切々と綴られたと思う。
AさんもBさんもそうであるが、彼女たちは決して『おばあさん』ではない。一人の女性として、年齢に関係なく、心は乙女の状態であることに気付かされた。そして、私の手のぬくもりが彼女らの生きてゆくバイタリティの糧になれば、これほど嬉しいことはないと思う。


患者Cさん(93才、男性)は、以前から大動脈弁閉鎖不全症で通院していたが、胸痛が出現するようになり、心臓カテーテル検査をしたところ、大動脈弁の逆流が進行するとともに左冠動脈にも新たに狭窄病変を合併されていた。いつ突然死されてもいい、危険性の高い状態で、手術を勧めたところ承諾され、公立病院へ診療情報提供書を書いて紹介した。手術の日程も決まり、その日がくるのを待っていた。ところが、来週手術という段階にきて、「手術は受けたくない。やはり怖い。」と言ってきた。生死に直接関わる心臓の手術であるので、直前に怖くなって逃げ出したくなるのも無理はない。本人と家族を呼んで、もう一度話し合った。「確かに現在の91歳8ヶ月という年齢は高齢であるため、手術に耐えられるか心配でしょうが、普段から畑仕事もされ、病院にも30分かけて歩いてこられる元気さは、決して90代ではなく、70代と言ってもいいほど体力は大丈夫ですよ。昔と違って、今は手術の道具も心筋保護の技術も、心臓のお薬も、手術の方法、技術もすべて向上しており、昔は75才以上の方は心臓の手術はやってはいけないと言われていましたが、いまや、暦年齢が90才を超えていても、生活年齢が70代と同等と考えられれば安心して手術できる時代なんですよ。今の状態は見た目は落ち着いていますが、いつ突然死されてもいい状態なんです。安心して身をまかせてみませんか?」と説明すると、孫・ひ孫たちが、「おじいちゃん、私たちのためにも手術して長生きしてちょうだい。」といい、娘さんも「おとうさん、頑張って心臓治そうよ。」と後押しされて、「よし、みんなのためにも頑張ってみるか。先生、私手術受けます!」と決心された。そして、冠動脈バイパス術と大動脈弁置換術を同時に手術され、2週間で元気に退院されてきた。手術が無事成功し、当院を訪問されたときは娘さんも本人も満面に笑みをうかべ、本人は両腕をあげて力こぶをつくり、「先生方のお蔭でこんなに元気になって帰ってきましたよ!」と言った。



公立病院を辞して町医者になって9年目になる。『人生は出会いと感動。医は愛である。』と思っているが、毎日いろいろな患者さんとの出会いがある。私は、お年寄りは沖縄県の宝であると信じている。戦後の沖縄がここまで発展できたのは彼らのお蔭であり、大切にしていきたい。これからも、薬では得られない何かを彼女らそして彼らへ与えてゆきたいと思いつつ、今日も外来でユンタクしている町医者である。
                                   (あなたの町医者ちぃさん)


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『人生は出会いと感動、医は愛である』

これは私が医師として、たくさんの患者さんや先生方と出会ってきた中から生まれてきた、私自身の『座右の銘』です。これからも、たくさんの人と出会い、感動と愛をもらい、そして、私の方からもたくさんの感動と愛をあげていきたいと思っています。

ダライ・ラマ法王が沖縄へ来られて講演された時も『人間がお互いに、母親が子供に対して愛情をもって接するように、接しあえば世界は戦争のない平和な世界になる』ということをおっしゃっていました。本当にその通りだと思いますね。

アニメーション・クリエーターの宮崎駿さんは『夢・理想を持たない現実主義者は人間失格だ』というようなことをおっしゃっていました。現実に屈せず、夢・理想をもって現実に立ち向かってゆく人間になりたいと思っている人は私だけではないと思います。

長い文章にお付き合いくださってありがとうございました。今日はここまで・・・・・・  


2011年09月16日at 00:17 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)町医者のユンタク室

県芸大学からトロンボーンアンサンブルの4人が来てくれました






平成23年8月8日(月) 今日は沖縄県立芸術大学から4人の学生さんがきてくれました。


メンバーは次の4人(敬称略)の方達でした。

 加藤 雅弘 (4年)

 高江洲 綾乃(3年)

 亀島 ちさと(3年)

 松川 倫子 (1年)


加藤さんは滋賀県出身で、なぜわざわざ沖縄県まで来たかと訊くと、

『国公立の大学であることが魅力で、また自分の練習がゆっくりと

できることが魅力的でこちらへ来ました。そして沖縄はごはんも

おいいしいし、お酒(泡盛)もおいしいし、毎日楽しく過ごさせて

いただいています。音楽については、人数が少ない学校ならではの

アットホームな環境の中、色々ないい経験をさせてもらえるので、

ほんとにいい学校に来たなと満足しています。』とのこと。



高江洲綾乃さんは、『出身高校は球陽高校で、トロンボーンは中学の

頃からやっていますが、他の楽器もやってみたいなと思ったことが

何度もあったのですけど、結局トロンボーンに落ち着きました。

高校時代はアンコン(アンサンブルコンテスト)には結構出てたんですけど、

自分は芸大に行くと決めたのが結構遅かったので、ソロコン(ソロコン

テスト)は全然出てなかったですね。』とのこと。


亀島ちさとさんは、最近あった沖縄トロンボーンアンサンブルの

演奏会で、一緒に出演したHarukaさんが、『これは素晴らしい』

と楽屋で彼女に番組の話をして、今回の放送へ引っ張ってこられ

ました。Harukaさんは、今回が亀島さんとの最初の出会いではなく、

彼女が西原高校2年(世界一のマーチングバンドの部員)の時に、

沖縄トロンボーンアンサンブルの合宿で会っていたそうで、その時に

参加している高校生で、演奏が飛び抜けて上手な女の子がいて、

低い音から高い音までビンビンに出せていて、どこからこの音出て

くるんだろうと思わせるほどで、『私は無敵よ』と言わんばかりの

オーラがでていたのが彼女だったそうです。これから沖縄県で活躍

していく人材なので、この番組へ引っ張り出したくて声がけして、

今日、このアンサンブルのメンバーで来てもらいました、とのこと。


金の卵を見つけ出して育て上げるという、Harukaさんの心意気がみえ

ますね。かつて、伝説のスカウトマンといわれた三輪田勝利さんが、

甲子園でピッチャーをしていたイチローをピッチャーではなく、

打撃センスを見抜いていて、バッターとして彼をオリックスへ

スカウトし、原石から宝石へ磨きあげました。日本ではじめて

年間200本安打をたたきだし、メジャーリーグへ移籍してからは、

年間最多安打(262本)を記録しました。三輪田さんとの出会いが

なければ、現在のイチローはいなかったでしょう。亀島さんにとっても、

Harukaさんとの出会いが、ステップアップの原動力になるといいですね。


亀島さんは『夢はたくさんあって、一番大きな夢は、将来音楽の先生に

なって、自分が色々な先輩方から教えてもらった音楽の素晴らしさを

もっと磨きあげて、次世代の子供たちにそれを伝えていきたいと思って

います。そのためにも音楽をもっと深く勉強して、音楽的にも人間的にも

自分を磨いていこうと思っています。』とのこと。

『自分が努力して、自分が学んだもの以上のものを次世代の子供たちに

伝えていきたい。』これは全ての分野に共通していえることですね。



1年生の松川倫子さんは『一番楽しいのは、トロンボーンを通して自分が

成長できたり、先輩方との縦の関係を学ぶことが、社会に出るための

準備であったり、高校では学べなかった新たな事がたくさん学べていると

思っています。』とのこと。



音楽だけではなく、社会人になるための勉強もしっかりされているんですね。


さて、今日は2曲演奏してくれましたが、エンディングに演奏してくれた

『ワラビガミ』は加藤さんが編曲したもので、さすがは最終学年のメンバー

だけあって、すばらしいできでした。


卒業後も、他の多くの人たちに音楽を通してたくさんの感動と幸せを与えて

くださることを期待しています。がんばってくださいね。




皆さんの楽しいユンタクはインターネットでFM21の『Harukaの今宵もハッス

ルnight!』へアクセスしてもらえれば、いつでも、世界中どこからでも、

画像と音声が視聴できますので、是非そちらへアクセスしてみてください。




最後に皆さまにお知らせがあります。今日ゲストに来てくださいました

沖縄県立芸術大学のメンバーの方達のコンサート(下記)がありますので、

是非聴きに行かれてパワーをもらってください。



                  記

沖縄県立芸術大学 器楽専攻打楽コース学生有志


第20回 ブラスアンサンブルコンサート


演奏曲目:「文明開化の鐘」でおなじみの高橋宏樹作曲

      金管八重奏 ククルヌティダ(本公演初演)

     ニューヨークのロンドンっ子(ジム・パーカー)   


日時:2011年10月15日(土)


場所:パレット市民劇場(パレットくもじ 9F)


入場料:学生(大学生以下)¥500   一般 ¥800


出演者:トランペット
    勝村真之介  木村義朗  坂口草太  比嘉恵莉菜  當眞嗣学(賛助出演)

    ホルン
    金城弥紀  山入端優奈  山里優子  高石真由(賛助出演)

    トロンボーン
    加藤雅弘  亀島ちさと  高江洲綾乃  岡田瑠莉  松川倫子

    チューバ
    稲嶺哲也(賛助出演)

後援:沖縄タイムス社  琉球新報社  沖縄ケーブルネットワーク株式会社

   沖縄テレビ放送株式会社  琉球朝日放送株式会社  NHK沖縄放送局

   琉球放送株式会社  FM沖縄  週刊レキオ社  株式会社ハンズ・コム

   株式会社ダイオキ(順不同)


お問い合わせ:(木村)

   mond.kindent@gmail.com

   080-6450-3809


『ククルヌティダ(心の太陽)』は、この演奏会のために高橋宏樹氏が

わざわざ作曲してくださったそう

で、本邦初公開だそうです。

大勢の御来客、お待ちしているそうですから、皆さま、是非聴きに

いらっしゃってくださいね。




沖縄県は中学校・高校ともに全国大会で金賞をとれる実力のある

ブラスバンドが多く、西原高校のマーチングバンドは世界大会で

1位になるなど、レベルは高く、こんなにたくさんのミュージシャンの

卵たちがいて、沖縄県はほんとに楽しいところですね。この中から

世界にはばたくミュージシャンがどんどん出て行ってほしいですね。



そういえば私の出身中学(那覇中学)後輩の津堅直弘さん(去年2月に

NHK交響楽団を定年退職された)は、世界でもトップレベルの

トランペッターとして一世を風靡されましたね。




がんばれ!ウチナーミュージシャン!



来週はどんなミュージシャンに出会えるか楽しみです。  


2011年08月14日at 20:43 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)番組

今日のゲストはククーシュカでした

きょうの『harukaの今宵もハッスルnight!』のゲストは3人グループのククーシュカ(KukushkA)でした。


メンバーは

 サトシ:ジャンベ ・ドラム

 ピノコ:カーズ・ベース

 ヨシカ:ギター


の女性一人男性二人の三人で、ピノコさんは髪型が手塚治虫の

漫画『ブラック・ジャック』にでてくるピノコと似ている

ところからついた名前とのこと。



そして、ククーシュカとは、ロシア語で『かわいい妖精ククーシュカ』

からとった名前だそうです。

演奏するジャンルはPOPSあるいはロック。

三人とも20代の若さで、作詞・作曲は三人で一緒に造るという

ユニークなグループです。






結成してやっと1年が過ぎたところで、あちこちからライブの依頼

がくるとのことで、鼻と耳の利くHarukaさんが、ライブで『将来性』を

見出してゲストに呼んでくれました。

明るくて話が楽しい仲間の集まりでした。 






演奏する音楽もオリジナリティ溢れる 自然体のメロディ・歌詞で

聞いていて楽しく、リズムに乗ってスイングさせてくれる音楽でした。






やはり、いいミュージシャンというのは 気負わず・おごらず演奏し、

聴く人に自然に体をスイングさせて楽しませてくれるものだと

感じさせてくれました。

これからの活躍を期待しています。是非がんばってほしいと思います。








沖縄県にはほんとに、素晴らしいミュージシャンがいっぱい育つものですね。

『Musical Island OKINAWA』として全世界に発信したいものです。

こんな素晴らしい島に生まれ、暮らしていることを誇りに思いますね。

来週も、どんな楽しいミュージシャンが来てくれのか、楽しみです。


* * * * * * * * * * * * * * *

今日は飛び入りで高良歯科医院の高良孔明先生にもゲストで

入ってもらいました。みんなのユンタクの輪にはいってもらい、

おかげさまで楽しいひとときがすごせました。

別の機会に口腔外科・歯科の話をしてもらいにゲスト出演してもらおうと

思っています。乞うご期待・・・・・。
  


2011年08月02日at 00:38 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)番組

今日はサザンオールスターのコピーバンド

7名グループのサザンオールスターのコピーバンド、

『ゴブイチ』さんがゲストに来てくれました。

めちゃくちゃ明るくて楽しい、アマチュアバンドでした。




桑田圭祐さんの歌い方を真似る訳ではなく、サザンの歌をみんなで

楽しく歌うというところがよかったですね。

たぶん、ライブのときは歌よりも歌と歌の間のユンタクの方が

楽しいだろうなと感じました。





『ごぶいち』の由来は何かと尋ねたところ、最初10人のグループ

のうち、男性が二人だけで女性が多く、どうにか男性を前面に出す

名前をつけようとして、5分の1が男なので『男が5分の1』

ということで、『ゴブイチ』としたそうです。





この10人の関係は同じ職場の人たちが、それぞれ楽器ができることが

わかり、それぞれが楽器を持ち寄って演奏してみたら、めちゃ楽しく、

職場の同僚・その子供・夫が加わったりしてメンバーができあがって

いったようです。






メンバーの内訳(敬称略)は、

祖納 盛晃(そな もりあき ) ボーカル (バンドリーダー)

安里 君代(あさと きみよ ) タンバリン(本当はドラムス)

野路 智夏(のじ ちなつ  ) フルート

喜納 綾子(きな あやこ  ) ピアノ

喜納 辰紀(きな たつのり ) ギター(綾子さんの長男)

大城 健一(おおしろけんいち) ベース(今日は来れず)

野路 拓矢(のじ たくや  ) サックス(智夏さんの夫)

の7人で、大城健一さんは今日はこれませんでしたが、

6人で楽しい演奏を聞かせてくれました。






皆さんラジオは初めてだったらしく、緊張してしまって

いるところで、はじめに『ちいさんのハートばなし』を

聞いてしまったあとだったため、まじめモードにスイッチが

入ってしまい、くだけることができず、


『今日は、素を出すことができなかったぁ!』


とくやしがっていましたので、また近いうちに再チャレンジとして

招待して、あらためて、全員のエピソードを引き出そうかと

思いますので、また聞いてくださいね。

そのときは、『ちいさんのハートばなし』のコーナーはお休みに

しましょう。







いつも、プロ・アマのミュージシャンとしゃべっていて、思います。

『音楽は楽しいもの、楽しむもの、

 一緒に楽しむ人が多ければ多いほどいい!!』
と。

さて、来週はどんな素晴らしいミュージシャンが来るのでしょう。

胸がワクワク・・・・楽しみですね・・・・。

  


2011年07月26日at 00:50 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)番組

初めてのクラシックピアニストが今日はゲストに来てくれました。

今日の”harukaの今宵もハッスルnight! ”にクラシックピアニストの

宮城知子(みやぎ ともこ)さんが来てくれました。

プロのクラシックピアニストがゲストに来てくれたのは初めてのことです。

感謝・感激!




宮城知子さんは沖縄県出身で武蔵野音楽大学卒業後、1989年にパリ留学。

エコール・ノルマル音楽院、パリ音楽院にて研鑽を積み、

1992年ピアノ部門1位金メダル受賞卒業後1995年に帰沖、

アメリカン大学、沖縄県立芸術大学などで若手の育成に貢献する傍ら、

ソロ、室内楽、声楽伴奏など数多くの演奏会に出演。2003年に再度渡仏。

2010年にフランスのピアノ講師国家資格を得、現在、フランスの公立

音楽学校でピアノを指導する傍ら、ソロ、伴奏活動の他、ヨーロッパの

伝統音楽奏者らと創作活動も行っています。彼女の音楽に対する情熱は

とどまるところを知りません。



去年、帰沖した時のコンサートでピアソラの曲をたくさん聞かせて

もらいましたが、タンゴの曲でありながらクラッシックとジャズが

入り混じったような曲で、しかも演奏テクニックはすばらしく、

超高速で演奏する場所もあり、ジャズの上原ひろみを彷彿とさせる

ところもありました。



沖縄県出身でこんなすばらしいピアニストがいることは、

同じ沖縄県民としてすごく誇りに思います。

今回は彼女の生い立ちから現在までの足跡を話してもらう十分な

時間がとれませんでしたが、たびたび演奏旅行で沖縄へこられますので、

次回は是非その辺のお話を伺うため、再度招きたいと思っています。




今回は、数少ないバンドネオン(アコーディオンのような、

鍵盤がすべてボタンになっている楽器)奏者のウイリアム・サバティエ氏に

参加してもらい、ピアソラのオリジナルの演奏スタイルで演奏してくださる

そうです。



皆さん、是非聞きにいらしてくださいね。彼女との出会いと感動は絶対、

明日の活力になりますよ。



日程は、以下の通り2回公演です。


①8月7日(日曜日)

 15:00開場(16:00開演)

 宜野座村文化センターがらまんホール
 

 チケット料金:全席自由一律前売り2500円(当日3000円)

 チケット予約:ホール予約電話:098-983-2613
                    (24時間対応)

 メール:garaman@ginoza-bunka.jp





②8月10日(水曜日)

 18:00開場(19:00開演)

 那覇市パレット市民劇場
 
 

 チケット料金:全席自由大人前売り3000円(当日3500円)

              高校生以下2500円(当日3000円)
 

 電話予約:080-3229-6599(宮城)

        098-965-4513(24時間対応) 

 メール:loubat.tomoko@gmail.com

 ブログ:http://theophile.ti-da.net
  


2011年07月19日at 01:36 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(1)番組

なでしこジャパン の 優勝おめでとう!

本日、女子ワールドサッカーで、なでしこジャパンが

世界ランキング1位のアメリカに勝って金メダルを

獲得しました。


深夜3時半に起きて、テレビで応援した方、ご苦労サンでした!!

私も3時半に起きて応援しましたが、今回は試合前から『絶対に勝つ』

という気持ちが強かったですね。


アメリカに先制されても、このチームメンバーなら必ず追いついてくれる

と思っていたのは、私だけではなかったと思います。


アメリカのチームとなでしこジャパンとの大きな違いは何だったのでしょう。

私は、いつも言っているように、『自分のために!』ではなく、

『みんなのために!』という気持ちの違いだったと思います。

アメリカのゴールキーパーのソロ選手は『金メダルをとるまでは引退できない』

と言っていました。なでしこジャパンの沢穂希選手は

『日本のため、日本女子サッカー発展のため、被災者の方々を励ますため』と

言っていました。

アメリカと日本の違い、それは、

『私のために!』と、『みんなのために!』と言う心構えの違いだったと思います。


『個人技、身体的優位性』に『絆の力』が勝った結果だったと思います。


何よりも大きかったのは、勝利の女神が見方してくれたことです。アメリカの

シュートがクロスバーに当たって入らなかったことが幾度もありました。

『ああ、勝利の女神様も応援してくれている』という気持ちを抱いたのは、

私だけではなかったと思います。


120分の戦いは2対2で、まったくの互角でした。どちらも金メダル

にしてもいいと思いますが、決着をつけるため、PK合戦になりました。

PK合戦は実力というより運によるものが多いものです。

勝利の神様は、今回は、日本に微笑んでくれました。



今回も、神様の存在を強く心にきざまれました。

『努力する人たちに神様は必ず答えてくれる!』と。



沖縄尚学高校が1999年の春の選抜高校野球で優勝したときも、

去年、興南高校が春夏連覇したときもそうでしたが、みんな、笑顔で

ゲームを楽しんでプレーしていました。今回のなでしこジャパンの

イレブンもそうでした。


『笑顔と絆』これも、勝敗をきめる重要なキーワードだと思いました。


震災被災者の方へのインタビューがニュースで流れていましたが、

被災者の方が、『なでしこジャパンの頑張りに感激しました。

彼女たちがあんなに頑張ったのだから私たちも頑張らなくちゃ、

と勇気とパワーをもらいました。ありがとう!』とおっしゃっていました。

ほんとに、被災者のかた、日本国民全員、そして全世界の人々に感動と

パワー・活力をあたえてくれたと思います。



なでしこジャパン、本当にありがとうございました。  


2011年07月18日at 23:30 │Posted by ☆haruka☆  │Comments(0)つぶやき